陣内秀信・三浦展編著『中央線がなかったら見えてくる東京の古層』

1910年の田中恭吉の日記を読んでいると、原町洋画研究所で知り合った三並花弟(本名、俊)の家に遊びに行くところが出てくる。

三並の家は中野の柏木駅(今の東中野?)の近くにあったようだ。甲武線(今の中央線)に乗ってたずね、宝仙寺など寺めぐりをして散歩している。

ちくま文庫の新刊陣内秀信・三浦展編著『中央線がなかったら見えてくる東京の古層』に地図(「新宿〜中野」)が口絵についていて、宝仙寺の位置も分かる。
この本は、鉄道中心に地域を考えることをあえて放棄して、鉄道以前の地誌を浮かび上がらせるという試みである。


田中は甲武線で三並の家を訪ねるが、そのあと一緒に長い距離を歩いている。歩く時の目標は寺であり、それは鉄道以前の地誌の結節点である。

明治末の中野は〈武蔵野〉であり、〈郊外〉であった。