ずっと前に古本屋で見つけて、版画の技法のところだけを読んで、その後放置していた中公文庫版『川上澄生全集 第8巻 版画 他一編』(昭和57年12月10日)。
教科書のことを書いていた記憶があって確認してみると、あった。
「最初の小学読本の挿絵その他について」という章があって、『小学読本』が、アメリカ合衆国の『学校及家庭叢書の第一読本 マーカス・ウィルソン著』の図版をそのまま真似て挿絵にしていることが指摘されている。おもしろいことにアメリカのは木口木版だが日本の『小学読本』は板目木版だという。
この木口木版の板目木版への〈翻訳〉に川上は深い関心を寄せている。
絵画の教科書について鉛筆と筆の断層について、「絵本のこと」で次のように指摘している。
石版は砂目石版という方法が鉛筆画を再現するのに都合がよく、明治初期から鉛筆画の手本に大いに使われました。前出の鉛筆画の手本に板目木版で鉛筆画らしく彫ったのがあるのですが、多少は鉛筆画の味を出していて、生徒はそれを手本とすることが出来たと思います。ところが銅版画をーーこれは彫刻銅版というものと思いますが――鉛筆画の手本たらしめたことは大分おかしい話です。生徒は年中鉛筆を削ってとがらせていなければならなかったでしょう。私が古本屋から古い図画の手本を買って自然に解ったことは、学校の制度の出来た時から明治二十年代にかけては、西洋流の鉛筆画を画かせたということです。それが明治三十年代になると小学校では毛筆画の手本が行われたようです。私など多小学校で毛筆画を画いた覚えがあります。ところが小学校の三四年生位の時に「時事新報社」から「少年」という雑誌が出ました。それを亡父が買ってくれ、月極めの読者になったわけです。色刷りの美しい口絵があり、挿絵を画く画家は「渡部審也」「倉田白羊」と今でも覚えて居ります。洋画家のことですから洋風描法の挿絵で、当時義経や清正の絵を毛筆で画いていた少年にとっては、非常な魅力を感じさせられました。 この辺から私が日本画風の絵よりも洋風絵画に興味を持つ様になったものと思います。
それから中学生になり夢二さんの絵が好きになりました。「夢二画集春の巻」「夏の巻」「秋の巻」「冬の巻」「旅の巻」など皆大好きな絵本でした。
鉛筆画の絵手本については、「絵の手本のこと」の章で取り上げられている。
明治20年代は欧化の時代で、絵画教育で鉛筆画が重視されていたが、その後毛筆画に変化したことがわかる。
たとえば、名取春仙の挿絵のタッチは筆のものである。
太田三郎は、ずっと鉛筆にこだわりを持っている。
春仙の筆のタッチは、江戸後期の絵本・絵手本の感じにつながる。
昨日の記事にもかかわるが、夢二は筆とペンを融合させたといえるだろうか。
