注文していた太田咲太郎(おおたさきたろう)『ゾラとセザンヌ』(昭和17年12月25日、三田文学出版部)が届く。
表紙の皺がちょっと残念だが、予想より綺麗な本である。
書簡を中心に、同郷の二人の交渉をたどる。
わたしは、ゾラの小説では、『制作』が一番好きである。画家小説としてよく書けているし、岩波文庫版はとても翻訳が良い。
主人公のクロード・ランティエという画家は、セザンヌやマネをモデルにしていると言われている。
その辺りを確かめるために、まず末尾の方を読む。
通説では、献呈された『制作』に対するセザンヌの礼状がいつになくそっけないものであることから、この小説が二人が疎遠になる原因となったとされている。
著者は、しかし、アムブロワーズ・ヴォラールの『ポォル・セザンヌ』の次のような一節を引用している。ヴォラールの質問に対してのセザンヌの答えの部分である。
……私はいつ頃からゾラ と の 友情が破れたのか訊いてみた。すると、「一度だつて私たちの間に仲違ひが起つたことはなかった。たゞ私がゾラに会ひにゆかなくなつただけだ。私には彼の家がもう落着けなくなつた。床には敷物が敷いてある。沢山の召使がある。そして、相手は木彫の机に向つて書いてゐるのだ。私はまるで国務大臣でも訪問してゐるやうな気になつてしまふのだ。彼は汚らはしいブルジョアになつてしまつたのだ。」
引用の後で、著者は、次のように記している。
セザンヌにはゾラが汚らはしいブルジョアに見え、ゾラにはセザンヌが敗残者に見えるやうになつてきたこと――二人の気持にかやうな相違が、それぞれの性格と、また、芸術上の見解の違ひとから生れてきたのである。伝説は種々の事件を伝へてゐるが、しかし、本当は取立て、いふ程の出來事は無かったのかも知れない。
生活様式の違いや芸術観の違いが二人を疎遠にする。
こうしたことはありがちだ。
多くの召使いに、敷物を敷いた床。国務大臣のような暮らしをしている作家。収入があるからこそできることだが、それが若い頃の目標だったかどうかはわからない。
太田咲太郎は、画家太田三郎の長男。
自らを語ることが少ない太田三郎は、妻はまの追悼本『厨屑』で、三人の子供たちのことを記している。妻と子供たちの写真を掲げ、長男咲太郎について次のように書いている。
その隣りは長男の咲太郎、後に慶応大学を出て、「世界比較文学」「ゾラとセザンヌ」等を著したが、第二次世界大戦に召集せられて体を害ねたのがもとで、昭和二十三年の六月に、慶應病院で没した。
