山村誠一郎のこと

国会図書館の個人送信サービスに山村誠一郎の 『子等のさざめき : 子唄入画集』(岡本偉業館、 1918)がカラーで入っている。図が主要内容である本は、やはりカラーで複製されていると、よくわかる。

『教育図案集誌』(1914年、積善館本店)はモノクロで見られる。序文などによると、東京美術学校卒業後、大阪で中学校の美術教師をしていたらしい。
しかし、それ以上の詳しいことはわからない。


〔追記、2022/05/29 13:00〕
オタさんの示唆で、次デジを見てわかったことをまとめておく。

『東京美術学校一覧 従大正2年至大正3年』によると、山村は明治43年3月、図案師範科を卒業。

『東京美術学校卒業生名簿 大正15年』によると、「大正十五年五月十一日死亡」とある。

『東京美術学校一覧 従大正3年至大正4年』によると、「徳島県女子師範学校」と名前の上に表記。

『創立四十周年記念沿革史』(昭和17年、徳島女子師範学校、徳島県立徳島高等女学校)の年表によると、大正15年5月13日、「故教諭山村誠一郎氏の校友会葬を寺町慈船寺に於て行ふ」とある。

『職員録 明治43年(乙)』(印刷局)によると、富山師範学校の教諭に名前があがっており、「兼富山高等女学校教諭」とある。

『職員録 大正4年乙』(内閣印刷局)によると、徳島県の項に「兼高等女学校教諭」として「女子師範学校教諭」として名前があがっている。

その他、大正12年に『クレイオン画のお手本と練習帳』という本を出している。


東京美術学校卒業後に、富山師範学校教諭、兼任富山高等女学校教諭になり、その後、大正3年までに徳島女子師範学校教諭、兼任高等女学校教諭に転じたということだろう。






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