1907年に漱石の酒量が増えた?

雑誌『ハガキ文学』第四巻第十三号(明治40年12月1日)に、「楽屋通人」名義で「文壇楽屋通」という作家についてのゴシップ記事がまとめられていて、その中に漱石についての次のような記述がある。


▲夏目漱石氏其漸やく世間より忘られんとするを慨して神経を病む事甚だしく為に酒量大に上り、持病の脳益々悪しきを加ふ

漱石は酒が強かったのか。はたまた飲酒の習慣があったのか、よく知らない。

明治40年末の記事であり、この時期、世間から忘れられて深酒する、というのはどうだろうか。

荒正人の『増補改訂漱石研究年表』を見てみる。

4月に朝日入社発表。

6月23日より『虞美人草』連載開始。10月に完結。

1908年1月1日に、春陽堂から『虞美人草』刊。

大学を辞めて朝日に入社、『虞美人草』連載で、世間から忘れられることから程遠い状況だ。

9月末に早稲田南町に転居し、「神経衰弱はおさまったが、胃病に苦しむ」という記述がある。

8月5日の条に、「★八月五日 (月)、『東亞の光』(東亜の光協会機関誌)の中で小林一郎は、夏目漱石の名前が出るにつれて、非難する人たちも増えてきたけれども、文学者はもう少し雅量がなくてはならぬと云い、漱石を賞める者が少なくなってきたのは、一般から作家として承認されてきたためだと思うという。」という記述がある。

1907年は、自然主義隆盛の年、漱石は批判を受けることが多くなった。

自然派のバイアスのかかった噂の記事だということだろうか。





この記事へのトラックバック