『ハガキ文学』第3巻第1号(1906年1月1日)を見ていると、「空々閑人」名義の「絵ハガキ鎻言」という1ページの文章が掲載されていて、「デモ画家」という言葉が使われているのに気がついた。
◇絵ハガキに金ぴか銀ぴかのものが澤山あるが畢竟虚仮脅しだ、素人やデモ画家が絵の拙な所を胡麻化す手段なら深く責めず、堂々たる大家の腕に成れる品に此等の手段が往々施されてあるのを見(引用者注-「みる」のルビあり)のは、実に忌(引用者注-「いや」のルビあり)だ。
金銀は、日露戦争の戦役紀念絵葉書で多用されているが、このことは先に書いた。
素人が金銀を使うのは腕がないのを誤魔化すためだとしたら仕方ないが、大家が金銀を使うのはイヤなことだ、という感想を述べている。
「デモ画家」という語が実際使われている事例に初めて見つけた。
昭和には「でもしか先生」という語があって、教員にでもなろうか、教員しかなれないという教員志望者を皮肉った言葉である。
「デモ画家」というのは、画家にでもなろうかという明確な自覚のない素人画家のことをいうのだろうか。それとも、技量はないけれど、これでも画家です、という開き直りを示しているのだろうか。
教員は給与生活者で食べていけるが、画家にでもなろうかといって画家になっても食っていけない。だから「デモ画家」とは、これでも画家です、というほどの意味ではないだろうか。
挿絵画家として活躍した名取春仙に『デモ画集』というコマ絵や挿絵を集成した本がある。これでも画家ですという画家の画集で、デモ画集なのだろう。
自分の絵の商売見本という意味で、デモンストレーション画集という意味もあるかもしれない。デモテープならぬデモ画集である。
名取春仙には、もう一冊画集を出す計画があったが出ずに終わった。
過去記事《『デモ画集』》
