〈同志が敵である〉という筋立てはやめてくれ

海外ドラマなどでよくあるのは、ずっと力を合わせてきた同志がじつは1番の敵であったという筋立てである。

日本のミステリーなどでもある。

そういう筋立ては、読者、視聴者をハラハラさせて効果的かもしれないが、安直だからやめてくれと思う。

もちろん、『力の指輪』の最終話のことを言っているのだ。

個人の経験の積み重ねのもとに、ある物語の筋立てが選ばれることと、観客の反応を工学的に測定した筋立てが、同じだということはあるのだろうか。

筋立て、プロットの法則を学ぶことは、物語を作るために有益である。
ただ、個人の経験の積み重ねをすべて排除して、工学的に組み立てられた物語は、純粋に機能するエンターテイメントを作ることなのだろうか。

物語が完全に現実を遮断しているかに見える現在、物語は現実などにタッチするわけがないという感性が広がっているのかもしれない。

物語が現実と無縁だということを現実的に引き受ける物語は可能なのだろうか。

それはともかく、南方国の王ハルブランドはサウロンそのものではなく、サウロンに憑依されているだけだという未来に、100ガンダルフ賭けておこう。

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