過去記事《肉筆より印刷がいいという感覚》で、『ハガキ文学』第3巻第1号(1906年1月1日)に掲載された「空々閑人」名義の「絵ハガキ鎻言」という記事で、肉筆の絵葉書よりも、印刷された絵葉書の方に趣があるということが記されていることを紹介した。「空々閑人」というのは、絵葉書が盛んであったドイツへ留学していた人たちの中のひとりだと思うが特定はできていない。
さて、同じこと、すなわち印刷された絵葉書に雅趣があるということを書いている人物がいた。
その人は法学士柳田国男である。
『ハガキ文学』第2巻第15号(明治38年10月1日、日本葉書会)に、柳田国男の「塔の絵葉書(二)」というエッセイ(「塔の絵葉書」は前号第2巻第14号に掲載)が掲載されている。
塔の絵葉書を集めようとしているが日本のものにはよいものがない、というのが一編の趣旨であるが、なかに次のような記述が見出される。
自分は肉筆の絵葉書はどうも手にとつて見るといやに成る、やはり刷上(引用者注ー「すりあげ」のルビあり)の手際の善いのを大勢と共に賞玩したいといふ主義で、それに版屋に近付も無いから、全然(引用者注ー「まるきり」のルビあり)他力門の信徒であります、
「大勢と共に賞玩したいといふ主義」というところに柳田の思想がよく現れているのではないだろうか。印刷はそれを可能にしたのである。
この時期柳田はどういう状況にあったのか。『柳田國男全集 別巻1』(2019年3月25日、筑摩書房)の小田富英作成の年譜を見てみる。
明治33年に農商務省の役人となり、明治35年に内閣法制局に転じ、37年には、横須賀捕獲審検所検察官に任命されている。農商務省の嘱託として各地に講演し、多くの書をよく読み、文学者たちとの交友も継続している。
官吏として忙しく働いていた時期であろう。
「大勢と共に賞玩したいといふ主義」という一節が特に印象に残ったのは、太田出版のWebマガジンに掲載された、大塚英志氏の「接続する柳田國男」を読んだためかもしれない。
*「塔の絵葉書」は、雑誌『ハガキ文学』掲載の絵葉書論を集めた『絵葉書趣味』(明治39年7月、日本葉書会・博文館)に再録されている。なおこの本は、向後絵里子編『絵葉書関係資料コレクション』第一巻(2019年5月、金沢文圃閣)で復刻されている。
