画家たちの写真

文学者の写真ほど需要があるかどうかわからないが、画家たちの写真を紹介しよう。

水彩画の興隆をもたらした画家の一人、三宅克己(みやけ・こっき)の自伝『思ひ出つるまゝ』(昭和13年6月20日、光大社)は、淡々とした筆致で綴られているが、おもしろいことが書いてある。

たとえば、旧幕時代の殿様が絵に興味をもってみにきたはいいが、一点も購入してくれなかったこと、殿様たちを運んできた人力車夫たちが玄関先で待っていたが、あまりの寒さのために不平を言って、三宅の妻が対応に苦慮したことが書いてある。

さて写真は、三宅が大野画塾で学んでいた頃の仲間の写真。

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大野画塾塾生 明治24年6月。
前列右から、故石川益敏、中沢弘光、高橋かよ子、矢崎千代二、川島某
後列右から、故玉置金司、岡田三郎助、三宅克己、林謙吉、和田英作

大野画塾というのは大野幸彦(おおの・さちひこ、1857−1892)が開いた私塾。

大野については、徳島県立近代美術館のサイトから作家紹介を引用しておこう。

1857年鹿児島県に生まれる。旧姓、曾山。祖父高崎正風をたよって上京、1878年工部美術学校に入学してサン・ジョヴァンニに師事する。1883年卒業後、工科大学博物館につとめ造家学科で画学を教え、のち東京大学造家学科助教助となる。翌年の松室重剛、堀江正章とともに美術会をおこし、画学専門学校を設立したが1年ほどで廃校。その後は自宅で門弟の指導にあたり、1889年明治美術会の創立に参加、評議員となり、翌年第3回内国勧業博覧会に出品する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

高橋かよ子について、三宅は次のように記している。

大野塾の中に、私達の勿論先輩だが、深川から麹町永田町まで毎日通學してゐられた、高橋かよ子さんと云ふ、若い婦人があつた。男の大勢ゐる中で熱 心 に負 けずに勉強されておられたが、もうその頃四五年も稽古してゐるとかで油絵で肖像の写生などされてゐた。

この人のその後はわからない。

大野画塾では臨本主義、つまりお手本を描き写すことが中心であったが、大野の没後、三宅は原田直次郎の鍾美館に移る。
原田のもとでは、自由に水彩画を描くことができた。

三宅は原田が写真に凝っていたことを書き記している。
原田の撮った写真は残されているのだろうか。

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