明治43年3月18日、午後2時、父に送られて、田中恭吉は和歌山駅(現、紀和駅)から和歌山線に乗車。
当初は、王寺で乗り換えて名古屋に向かう予定であったが、うまくいかず18日は奈良で一泊。
19日午後5時に宿を出て、名古屋行きに乗車。関西線である。午後11時20分に名古屋に着く。
乗換まで名古屋の町を散策。乗車は深夜か。
20日の日記に「三等急行はつみきって到底寝られそうになかった」とある。東京着の時間は書いていない。
さてこの「三等急行」だが、三宅俊彦『日本鉄道史年表(国鉄・JR)』(2005年9月21日、グランプリ出版)によると明治39年4月16日に「官設鉄道時刻改正」があり、つぎのような改定があったという。
① 東海道線新橋-神戸間1・2等最急行1・2列車、1・2等急行3・4列車、 3等急行5・6列車を設定、 最急行列車の所要時間13時間40分。 1・2列車に洋食堂車、 3・4列車に洋食堂車 寝台車、 5・6列車に和食堂車を連結。 急行列車の乗車には急行列車券を要する (和食堂車・急行料金の最初)。 他に新橋-神戸間2往復、新橋-下関間11・10列車などの直通列車を運転
この夜行の三等車のみの編成の「三等急行5・6列車」が「三等急行」である。
【付記】2022/11/20 18:35
小川一真の写真集『東京風景』(明治44年4月、小川一真出版部)に、当時の列車と食堂車の写真が出ている。
ただし、食堂車はキャプションにある三等急行の和食堂車ではない。
