清須市はるひ美術館に太田三郎の油彩画を見に行く

さて、清洲市はるひ美術館で開催中の「画家たちの眼」展では、太田三郎の絵画が1点出ているが、会期は20日までである。
太田の作品はフライヤーにも写真がなく、初期の作品らしいが、この目で見てみたい。
印刷された絵画や版画はよく知っているが、油彩画は見たことがないのだ。

20名以上になっていた愛知県の定点観測の数字が、20名を下回ったので、18日に思い切って出かけることにした。
日帰りではあるが久しぶりの小旅行である。

のぞみの指定席を行き帰りともとることができた。切符販売の職員さんによると、3人掛けの真ん中は空くことが多いので、通路側で好いならCがおすすめであるということだ。行きは空席、帰りは親子2人ずれで埋まっていた。
マスク率は5割というところか。

新大阪は人が多い。観察していると、こだまの自由席はがらがらで、今後名古屋に調査に行くなら、こだまでもよいと思った。

名古屋着、東海道線に乗換だが、あやうく岡崎方面に乗るところだった。

枇杷島、清洲で、二駅目。
行きは、電話でタクシーを手配して、はるひの森に向かった。

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帰りは歩いたが、雲が多かったので助かった。

入場無料である。

受付で確認すると写真はOKだということであった。

太田三郎は愛知県文化会館の初代美術科長をつとめ、美術館の設立に尽力した。
また、清須市は太田の生誕の地でもある。

さて、太田の絵は第1室に展示されていた。
出品目録によると、《婦人像》制作は1915年頃、油彩、画布。45.7×53.4である。

観客は、途切れない程度にあり、皆熱心に見ている。

ざっと1室を見た後、太田の《婦人像》をじっくり20分ほど観察した。

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向かい側の展示の反射が入ってしまうが、落ち着いた色調で髪留めの赤、襦袢の襟の青がアクセントになっている。

第11回文展(大正6年)に入選した《卓に凭りて》の婦人像に、似ているような気もする。

《卓に凭りて》の女性は、はま夫人がモデルではないかと思っている。文献的根拠はないのだが、はま夫人の追悼句集『厨屑』に掲げられた写真におもざしが似ているのである。

絵葉書で紹介しておこう。

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どうだろう。眉の形は似ているのだが。

着物の下はタートルネックのようなものを着ている?

ともに、サインはSAMURO OTAである。
本人は三郎は、「さぶろう」ではなく一貫して「さむろう」としていたのかもしれない。

学芸員の方に、ぜひ太田の展覧会を開いてくださいとお願いして辞去。

絵のタッチを反芻しながら、徒歩で清洲駅に向かう。20分ほど。

住宅の間に野菜畑があって、みな豊かに育っている。
太田の父が青物問屋であったというのを思い出す。
土地も肥えていて水も豊富なので野菜が育つのはよくわかる。

名古屋駅で下車、客の少ないうな和という店で遅い昼食。

名古屋駅前の空は秋か。

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帰りの列車の時刻まで、駅前のジュンク堂で本を見る。新刊書店も久しぶり。

多木浩二の『未来派』を購入。各種宣言のイタリア語からの訳が収められているので、有島生馬訳と比べてみようと思ったのだ。

18時帰宅。
1万2千歩。

【編集履歴】
2023/08/19 9:35 誤記修正。

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