新刊日記 ひろたまさき『異国の夢二』

新刊案内で、ひろたまさき『異国の夢二』(2023年、講談社叢書メチエ)を見たとき、意外な感じがした。
思想史家ひろたが夢二を取り上げた動機がわからなかったのだ。

本書によると、岡山大教授になって、人に郷土の画家を調べてはどうかと言われたことがきっかけだったという。外在的な動機がはじまりだった。

また遺著であり、残された幾通りかの原稿を、教えを受けた方々、編集担当の方が、協力して一書にまとめたものだ。

これまでの研究史を踏まえて、わかりやすく説き直した啓蒙書だろうかと思ったが、通読してそれはよいほうに裏切られたのである。

書名が示すように、アメリカ、欧州、台湾へでかけた夢二の経験をたどり、その思想への影響を明らかにしようとする試みである。

一言であらわすと、民衆芸術の方向をめざしていた夢二の思想性を、異国経験から証してみようという試みである。

最後の台湾の章がおもしろかった。
これまで、台湾行きは夢二の病勢をつのらせただけの蛇足の旅ととらえられることがおおかった。

ひろたは表現の細部から思わぬメッセージを取り出してみせる。

旭日のテーマ探索、台展の審査のために台湾にいた藤島武二と夢二は会っている。

藤島の側に立てば、夢二は落剥した無位無官の絵描きである。

ひろたは次のようなことを記している。

史料に基づいて、しかし史料そのものが直接語らないところを、その他の史料や歴史的真実に基づいていろいろと推測・想像することは、歴史の真実に迫っていくための必須の作業であろう。それは殊に人の心理を想像する際に一番困難な作業であるが、それだけに一番重要な作業だと言えよう。それだけに個人の人格のあり方に及ぶ「想像」は、よほど慎重になされなければならないだろう。殊にその人が他界しているとなれば。

こうした「推測・想像」を禁欲するという立場もあるだろう。

ひろたは、視点の相互性ともいうべき方法を用いている。

藤島の目に夢二は落剥した絵描きと映っただろうが、夢二には藤島は「帝室技芸員」のように見えたかもしれないという。「帝室技芸員」とは、1929年1月16日の日記に見える言葉。かつては画家たらんとしたこともあるが、いまはただ一人の人間だと夢二はいう。「帝室技芸員」とはその対極にある存在である。

よって立つところが異なれば、対面した相手が異なって見えるものだということを、ひろたは浮かび上がらせる。

制服をめぐる議論から、ひろたが何を取り出したかは、本書を読んでぜひ確認されるとよいだろう。


客観主義の学問は肉声を封じるようになった。

本書からはひろたの肉声が聞こえる。それは主観であるが、相互性の原理から組み立てられた方法と反響して、主観の揺れが学問に深く関わることが示されている。







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