注釈日誌 和歌山出身の知名人

さて、田中恭吉の日記を編集した『ノート』5万字にとりかかろうとして、そうそう1910年日記の金銭出納簿と住所録を翻刻しておこうと思った。

金銭出納簿も最初だけで、すぐ書かなくなっている。

1910年3月に、和歌山から上京しているが、この時は和歌山線、関西線まわりで接続が悪く奈良に一泊して、名古屋に出て、三等急行に乗車している。


汽車賃(おそらく和歌山−東京間)が3円88銭。
名古屋−東京の急行券が50銭である。

ひどく粗末な奈良の宿賃は、35銭である。

住所欄もおわって、さてできたと思いきや、終わりの1ページに、和歌山出身の知名人の一覧が20数名掲げられている。
筆がきで2名ほど名前が判読できないが、一応打ち込みはできた。

注釈しておこうということで、進めていくと、1日かけてやっと3分の2終わった。
陸奥宗光の長男や、ヤマハの創業者など多彩である。

作業はこれまで、やってきたこと、学んだことの総復習のような感じである。
興信録、紳士録、人名辞典などを検索しつつ、生没年を確認し、業績を数行の記述にまとめていく。
人物のポルトレが見つかったら、いちばんよい。

検索にひっかからないのは、国会デジコレで、一文字変えてひいてみる。武二ではなく武次でひくとひっかかる。

美術学校への進学は、田中恭吉にとっては立志の行為であったということがよくわかる。

入学までは、美術学校の帽章の「美」にあこがれている。

森下岩楠(慶応塾頭)とか山葉寅楠(ヤマハ創業者)とか、名前に「楠」が付くのは、南方熊楠が『南方随筆』で、厄除けの意味があったと記している。





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