◇国立国会図書館の新サーチについて、不便だという人がいる。
参照の範囲が広がったからだろう。
注釈作業をしているとよくわかる。
たとえば、関連情報が一覧で、同一画面に表示される。デジコレの一部が下部に表示されるのだ。
必要がない人にはわずらわしいのかもしれない。
しかし、参照情報を見ていくと、発見がある。
今も、浅草十二階下の情報をさぐっていくと、本筋とはかかわらないが、前からずっと根拠を見つけられなかったある推論について裏打ちする資料が見つかったのだ。
おそらく、資料そのものは前からあったが、新サーチのすくい上げ方によって可視化されたのだと思う。
新サーチは、参照性の充実を目指していると言える。
ただ、時間はかかるようになった。関連情報を見に行って空振りの場合も多いからだ。
旧サーチは、デジコレとは別物として使っていたが、いまは一体化している。
書物の海にいるという実感が以前よりは強くなった。
くりかえすが、しかし時間はかかるのだ。
◇1日から、能登半島地震の映像を配信で見るたびに、1995年の阪神淡路大震災の記憶がよみがえり、きのうのことのように、たどりなおすことができるようになった。
独立メディアの配信では、じかに胸に迫る映像を受け取った。
独立メディア万能をとなえるつもりはない。
既成大手メディアの空白を意図的に埋めようとしている独立メディアの存在によって、多数をなす言論のゆがみが映し出される。
それは、人びとの感情の官僚制化とも言うべき事態だ。
個別のリアルな事象を捨象した〈被災地に行くな〉の合唱がそれだ。
