明治後期の浅草凌雲閣(十二階)下の千束町には私娼街が存在した。
表向きは銘酒屋、新聞縦覧所の看板をかかげているが、実質は女性が売春を行っていた。
石川啄木の『ローマ字日記』は、1909年の十二階下の娼婦とのやりとりを赤裸々に記したものとして知られている。
昔、浅草のことを調べている時に、娼婦がローマ字書きの名刺を持っていたという文献を見つけた。
メモをとったのだが、それを失ってしまった。
日記をローマ字書きにすることは、娼婦の名刺のローマ字書きに暗示があったのではないかと考えた。
そのことは過去記事《ローマ字日記と名刺》に記した。
文献が出てこないことには、ローマ字表記が娼婦の名刺に暗示を受けたという着想は空想にすぎない。
昨日、注釈のためにあることを国立国会図書館の新しくなった検索で調べていた。
参照性が広がるように文献が提示されるようになった。
まったくの偶然であるが、その時『裏面の東京』という本があることがわかった。
知久泰盛(知久桟雲峡雨)著で、社会のいろいろな場所に取材に出かけて記事にする探訪もので、国立国会図書館デジタルコレクションに収められているのは、大正8年の第7版である。
初版は、大正2年12月である。*初版もデジコレにあがっている。
「凡例」によると、雑誌『新公論』に変装記として連載したものを集めたという。
知久桟雲峡雨 著『裏面の東京』(義正堂、大正8年12月、第7版)
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/907649 (参照 2024-01-11)
*トリミングあり。
その13章は「十三、十二階下淫賣婦の告白」というもので、インタビュー記事である。
その冒頭は次のようになっている。*以下引用では、ルビ、圏点は適宜取捨した。
▲記者曰く、魔窟探訪の一夜、十二階下千束町二丁目俗に魁新町と称する小路の中の『萬玉』とふ家で呼び止められた時に、女は予に一葉の小形な名刺を呉れた、名刺にはローマ字で Hattori, Misao と記し片書に『渡邊女學校生徒』と印刷してあつた、記者は即ち此處に立寄り彼女を強いて以下記すところの丹火を切らしてみたのである。年齢十八歳、普通の女らしい顔だけは持つてゐた。
名前がローマ字書きで、肩書きは漢字表記だったのだろう。「渡邊女學校」は、本郷の東竹町にあった裁縫の専門学校である。
この名刺はどのように使われたのか、
▲女曰く、活動写真に行くかつていふんですか、行きますとも、行きますとも、摺れ嗄らし野郎は毎晩のやうに取つてゐますが、本當に初心な方は這麼(引用者注−ルビ「こんな」)場所に這入つて来やしませんからね、私達は活動写眞に此の可愛い初心な学生さんを釣りに行くの...。▲女曰く、貴郎に上げました名刺ね、あれは活動写真の中でさうした男の方にあげるために作つてあるんです。え、え、そりや主人かつて私達が只遊びに行くんぢやありませんから喜んで行かして呉れますし、一等席で見られるだけのお小遣も出してくれますの。
▲女曰く、活動を見てゐる中に、私達は男を見付けましてねその傍に坐るなり腰かけるなりします、そして機会を見て、故意とならぬ風に手に手を触れてみるやうな事をします………。
▲女曰く、男つて馬鹿なものよ、男つて助平なものよ、私達が指先だけ触つてみれば男は首つたけはまりこんで了ふのが多いわ。竊(引用者注−ルビ「そつ」)と名刺をあげるでせう、すると先きでも竊とそれを見てゐます………。
活動写真館で、客の勧誘のために名刺が使われたのである。
ローマ字書きの名刺の一事例であるが、かつてメモを失った文献とは違うものである。
複数の事例が出てくるといいが、まずは書きとめておきたい。
【編集履歴】
2024/01/12 9:32 誤記修正。
2024/01/12 13:42 誤記修正。
2024/07/17 誤記修正。
