和歌山出身の創作版画家、田中恭吉の日記の翻刻、注釈作業のメモ。
*田中恭吉については、和歌山県立近代美術館の《生誕120年記念 田中恭吉展》の紹介記事を参照。
さて、1910年日記のやり直しを終えて、雑記帳メモ類にまじりこんでいる日記的記述を抽出する作業に入っている。
まず『雑記帳』と呼ばれているのは、博文館の明治三十一年当用日記に、短歌や詩や小説めいたものの創作ノートが書き込まれたものだ。
明治31年というと、田中恭吉は6歳なので、長兄、次兄が購入して使わなかったものを利用しているのだと推定される。
けっこう複雑で、鉛筆書きの短歌の上に、赤インクで物語の草稿が書かれていたりする。
いくつか日記的記述があるが最も重要なのが、「恭吉記録」と題されたもので、誕生から、大正2年10月5日の喀血の日までの、おそらく恭吉自身にとって大事な出来事がメモ風に記されている。
これは、田中恭吉の基礎研究として欠かすことのできない、玲風書房『田中恭吉作品集』に付された三木哲夫氏の「田中恭吉年譜」に資料として使われている。
「恭吉記録」は日記本体のインデックスとしての機能もあり、簡単な記述ながら、日記本体でははっきりわからない旅行の実態がわかったり、下宿の変遷が詳しく把握できるようになっている。
ほぼ注釈も付けおわり、未詳事項を調べるために国会図書館に請求した資料が届くのを待っている状態である。
あとの旅行記的な記述をどうするかを考えなければならない。
『雑記帳』とは別に『原稿用紙』と呼ばれる、一部日付入りの記述が残されている。大正2年のものではないかと推定される。
読書日記という側面があり、引用している文献についてまず見ておくことにする。
なかに『読売新聞』掲載の木村荘八の記事が引用されていて、かなりまえに、ある方に出典のコピーをいただいたことを思い出す。
昔のファイルブックを見ていくとあった。大正2年の「文展第二部」上、中、下という記事である。
コピーは感熱紙のもので文字が見えにくくなっているので、ヨミダスパーソナルで、有料参照することとした。
今月末で、明治大正の記事の検索は終了して、4月から見られなくなる。通知には、地域図書館で見てくれと書いてあったが、地域図書館がすべてヨミダスを備えているわけではないのである。
この『原稿用紙』の終わりに、ブックリストがあって、これは一部、ブログで記事にしたことがある。
過去記事《田中恭吉のブックリスト》。
未詳部分を調べ直すとしよう。
