注釈日誌 ヘッダが言った

和歌山出身の創作版画家、田中恭吉の日記の翻刻、注釈作業のメモ。
*田中恭吉については、和歌山県立近代美術館の《コレクション展 2022-春夏 特集:生誕130年 田中恭吉》の紹介記事を参照。

「原稿用紙」と呼ばれる資料にとりかかっている。
1913年10月5日、四谷見附橋の開橋式に行った日の夜、田中恭吉は喀血する。

「原稿用紙」は、心象の記録の後、10月24日の日付が入った記述から始まっている。
同居の大槻憲二がもっていた『ルッソー懺悔録』を借りて読み、深い感銘を受けている。
石川戯庵訳、大日本図書刊の上下2巻本ではないかと思われる。国会デジコレにあり。

引用が多くなされているが、少し文章が異なっている。
手元には増訂縮刷版があるが、これはだいぶん異なっている。

父についての記述がまとまってあるのも特徴のひとつである。

あるシートの隅に英文が書かれている。

For once in my life,I want to be master over
a human fate. −−Hedda.

Heddaはさいしょは、I eddaに見えたが、大文字のHだとわかった。

こういうのにであうと、今まではうまく調べられたが、今回はどうだろうという、少し不安な気持ちがわいてくる。

しばらく、考えて、Heddaといえば、ヘッダ・ガブラーじゃないかと思う。

『イブセン傑作集』(坪内士行訳、大正七年、早稲田大学出版部)を見ると、「私は一生に一度、人間の運を思ひのまゝに作り出す力がほしい」とある。

『ヘッダ・ガブラー』は、無理筋という言葉があるが、無理筋そのものの話の展開である。




この記事へのトラックバック