和歌山出身の創作版画家、田中恭吉の日記の翻刻、注釈作業のメモ。
*田中恭吉については、和歌山県立近代美術館の《コレクション展 2022-春夏 特集:生誕130年 田中恭吉》の紹介記事を参照。
*田中恭吉については、和歌山県立近代美術館の《コレクション展 2022-春夏 特集:生誕130年 田中恭吉》の紹介記事を参照。
さてようやく『原稿用紙』の翻刻を終えた。簡単な注もつけた。
『原稿用紙』とは、原稿用紙を使って、1913年10月〜11月の喀血後の北豊島の借家での養生期間の記録が残されている。
やはり、原稿用紙のままでは、通読しにくく、今回翻刻で、はじめて全容を把握することができた。
ルソーの『懺悔録』などの読書記録、喀血後の心境、父への思いなどが内容である。
一端終わりまで行ったと考えていて、その後の作業であり、体調も悪いので、なかなかたいへんであった。
期間は短いが、大判の原稿用紙であり、字数は多く、2万6千字を超えた。通常の日記の約半年分である。
また、記述の方向がたてよこさまざまでその解読にも手こずらされた。
喀血は大きな出来事で、香山小鳥、佐野左司馬の2人が相次いで結核で亡くなっている。書簡では、田中は佐野から感染したと考えていたらしい。
田中恭吉のなかに病を受け止めようという気持と、そこからのがれたいという気持がせめぎあっていて、翻刻を進めるわたしにも苦悩は伝わってきた。
最後の長い引用、エドワルド・ストックトン・マイエルの独逸近世戯曲というのが、わからなかったが、長谷川天渓の『自然主義』に収録された翻訳であることがわかった。
これから、PDF版を作成し、セブンへ印刷しにいこうと思う。
それで最終確認して、遺漏をなくしたいと思う。
