『『モダニズム出版社の探検』余話』

高橋輝次さんの『『モダニズム出版社の探検』余話』。

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なぜ「余話」かというと、本編の論創社近刊の『戦前モダニズム出版社の探検』の追記としての冊子であるからだ。

本編よりさきに追記の「余話」が出てしまったというわけだ。

この『余話』の目次、及び購入方法については、daily-sumus3の記事「モダニズム出版社の探検」を参照されたい。


収録の「伊藤整・阪本越郎「"椎の木"のころ」を読むーー太田咲太郎の探求とともにーー」には、わたしもちょっと登場する。
太田咲太郎(おおた・さくたろう)は、今秋、戦後初の総合的な展覧会が清須市はるひ美術館で開かれる画家太田三郎の長男である。

この章は次のように始まる。

 私は今度出る『戦前モダニズム出版社探検』の最終章で「椎の木社と『椎の木』 探索」を割に多くの頁をとって書いている。このプライベート・プレスは詩人の百田宗治が大正十五年十月頃創めたもので、その詩同人雑誌『椎の木』(一次から第三次が昭和九年十月まで)は錚々たる旧来の詩派の詩人たちの他に、全国の無名の若い詩人たちの発表の場となった。当時、第一次世界大戦後のヨーロッパで起った新しい文学思潮(未来派、表現派、ダダやシュルリアリスムなど)が日本にも影響を与え、モダニズム文学への傾向がしだいに大きくなった。昭和三年には本格的なモダニズムの詩や文学、評論を中心とする、春山行夫編集の『詩と試論』が厚生閣から創刊されている。百田は同時に単行本も手がけ、室生犀星、三好達治、伊藤整、安西冬衛、それに画期的な西脇順三郎のモダニズム詩集 『Ambavalia』 など計七十冊が出されている。最近、再評価のとみに高い詩人、左川ちかの、ジョイスの翻訳 『室楽』もここから出ている。いずれも百部から三百部位の限定本で(百田の本は各五百部)、百田によるシンプルだが味のある装幀、造本で、今、古本で出ると皆、高価なものばかりだ。
さて、高橋さんが古書店で入手した第4次『四季』3号(昭和43年8月)には、伊藤整と阪本越郎の対談「〝椎の木〟のころ」が掲載されている。

そのなかで、阪本、伊藤のどちらのどちらの言葉かは記されていないが、「太田咲太郎は、太田三郎という古い画家の息子。慶応で仏文をやって、学校に残ったが、早く死にましたね」という発言が紹介されている。

伊藤整は、1905年生まれ、阪本越郎は、1906年生まれ、太田咲太郎は1911年生まれ、そして太田三郎は1884年生まれである。
明治から眺めると、太田三郎は新しさを追求した画家であるが、約20歳年下の伊藤や阪本から見ると「古い画家」になるのである。

わたしからは、太田三郎はモダニズムにふれた第一世代のようにも見えるが、伊藤、阪本からは断絶していると認識されている。


【付記】
2024/09/22 16:59 高橋さんからハガキをいただく。発言は伊藤整のものだという。








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