作業日誌 国歌大観を見にいく

noteの原稿関連で、ChatGPTフリー版に、涙と雨をからめた古典和歌の表現事例を教えてくれとたのんでみた。
そうしたら、6首ほどあげて、時代ごとの変化も表にして、研究ノート風でも論文風でもさらに仕上げることができますっていうのだよ。

もうこの時点でなんか怪しいなとは思ったよ。

それで国会図書館デジタルコレクションで、歌を検索したらどれひとつ引っかからないのだ。
もちろん、仮名遣いをかえていろいろひいてみてもだめなんだ。

こうした表現法は「雨涙同音」と呼ばれているとあって、ここでこいつは駄目だという確信にかわった。
「雨涙同根」ならまだしも、「音」はないよね。

しかしすごいなあ、全部の歌がウソだなんて。

古今集の涙川のことなどはかねて知っていたので、きょうはいつも行く図書館へ国歌大観を検索しに行ったのだ。
勅撰集本文と索引の2冊を取り出して、いろいろ見ているとすぐ当たりがついて、「なみだしぐるる」とか、けっこう用例が見つかったのだ。AIが教えてくれた勅撰集出典のものも念のため検索したが、ひとつもひっかからない。

古今集では藤原敏行の「明けぬとて帰る道にはこきたれて雨も涙もふりそほちつつ」というのが見つかった。
『山へよする』の竹久夢二の歌は、「涙ともいづれ雨ともけぢめなく濡れてさまよふ二人なりしか」というものである。
古今のは、後朝(きぬぎぬ)の歌で、竹久のは二人さまよう歌で、違いはあるが、恋ゆえの涙が雨と分かちがたいという情趣は一致している。
他にもいろいろ見つかった。

図書館で本を調べるというのは、身体知なんだという事を実感した1日であった。






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