『ローマ字日記』と名刺 2011年05月30日 石川啄木が『ローマ字日記』を書き始めるのは、1909年4月7日からで、新しい黒クロース装のノートが使われた。ただし、「明治四十二年当用日記」の4月3日の項に、北原白秋の使いの者が詩集『邪宗門』を届けにきたという記事があり、6日まで、ローマ字で記述されている。 ただ、それ以前にも、「明治四十一年日誌」にも、ローマ字の記述はあらわれる。浅草凌雲閣の近辺の、いわゆる十二階下の私娼街の娼婦の名…続きを読む
石川啄木のキンキン声 2011年05月27日 ちくま文庫版、森於莵『父親としての森鷗外』(1993年9月)を読んでいると、観潮楼歌会にふれて、次のような記述があった。おでこの石川啄木は故郷の山河に別れて間のないころであったろう、頭に浮んだ歌を特有のキンキン声で口ずさむと父が大声で笑う。 また、次のような記述もある。石川啄木は特色のある歌を読む人として別の意味で父を喜ばせた。同氏の疳高な調子はこの集りの中でも特別で階下まで響いた。「こそこそ…続きを読む
『国際啄木学会研究年報』第14号 2011年04月10日 国際啄木学会から、『国際啄木学会研究年報』第14号が発行された。 今号の特集は、「徹底討論『一握の砂』」で、2010年9月に立命館大学で開催されたシンポジウムがもとになっている。太田登氏の司会で、田口道昭氏、河野有時氏、小菅麻起子氏、大室精一氏ら、啄木研究者が『一握の砂』の各章を担当し、報告のあと、指定討論者の望月善次氏や会場の参加者と討議するというかたちになっている。 シンポジウムは…続きを読む
啄木短歌の三行書き 2010年11月27日 雑誌『短歌』12月号の特集「はじめての石川啄木」を読む。今年は、歌集『一握の砂』刊行100年である。明治43年12月初旬にこの歌集が店頭に並んだ。 近藤典彦氏の「短歌在来の格調を破れり―啄木三行書きの意義―」という論考に次のような指摘がある。啄木三行歌は「在来の格調」を自在化した上での「くずし」なのである。在来の技法を若くして摂取した後「くずし」に入ったピカソをわたくしは連想する。 近藤氏は、…続きを読む