共同幻想と共軛

 さて、先日紹介した亀井秀雄のブログ《この世の眺め》の「『共同幻想論』自序への疑問」という記事には、次のような興味深い記述が見られる。吉本隆明がいう「共同幻想」とは、ある閉鎖的な空間に住む人たちが心的に共軛された形の共同体を作っている、その共軛(共役/きょうやく/yoke together)のことだ。私はそう読み取ってきた。 この「共軛」という語に注目したい。 『日本国語大辞典 第2版』でひくと…

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伏字を逆手にとる

 《神保町系オタオタ日記》さんが、《雀隠れ日記》さんの「伏字の取締り?」という記事を再紹介している。  村田裕和氏の「首のない体/字面のない活字―印刷術総合運動『死刑宣告』の身体性―」(2011年1月。「立命館言語文化研究」22巻3号)という論考を思い出す。  次のような一節がある。 削除痕としての死者の体(遺体body )が,暴力の行使を銘記しつづける一方,記号活字(伏せ字)が,み…

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上田敏、パリで父の写真を見る

 『定本上田敏全集』第十巻(昭和60年3月、教育出版センター)を見ていると、妻宛の1908年4月5日付書簡に次のような一節がある。 一昨日うちの老人(こゝの亭主なり、もと従軍もしたといふボルドオに葡萄園をもち相応の財産はありさうに候)につれられてジァルダン・デ・プラントといふ植物園、動物園をかねたる公園へまゐり、そこの博物館へ入りしに階上の一室にて亡きお父さんの写真を見、奇遇に驚き候、なつ…

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煙突文学全集016

 隆文館の小品叢書は、小品の定着と普及に寄与した。第7巻は、白柳秀湖の『秀湖小品』(明治42年12月)。  秀湖の小品には、とてもよいものがある。この『秀湖小品』には、詩的小品はあまりなく、随筆、評論が中心である。「渋谷の煤煙」(初出未詳)は、渋谷の発電所の煤煙を描いている。 詩の都は煤煙の都なり、君曾て高きに登り、重き水蒸気に圧されて、低く満都を包み行く、恐ろしき煤煙の勢威にうたれ…

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漱石は文学博士である

 『武蔵野文学』59集(2011年12月、武蔵野書院)が「漱石ノ気骨」という特集を組んでいて、「博士号辞退に関する文献」では東北大学付属図書館漱石文庫蔵の手紙、原稿がカラー版で紹介されている。 なかに、文部省の明治44年4月19日付、漱石宛通知というのがあって、封筒の裏は大きな文字で文部省と書いてある。通知文を書いているのは、当時の専門学務局長福原鐐二郎で、次のような一節が見出される。辞令書ヲ受…

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旧稿より②

 旧稿を再掲する。初出は『枯野』第12号(2002年3月)。 語注を拡張した文脈注の考え方を『それから』の具体例を通じて示したものである。    『それから』の「古版の浮世絵」について                          木股知史    1 古版の浮世絵 …

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煙突文学全集015

 森田草平『煤煙』。                                    此寂かな夕暮の空に、彼方此方工場の煙突から幾條となく煤烟が立つ。遠いものは段々灰色にかすれて、靄と見分け難いのもあれ…

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煙突文学全集014

 三島霜川『解剖室』より。雪は霽ツて、灰色の空は雲切がして、冷な日光が薄ツすりと射す。北國の雪解の時分と來たら、全て眼に入るものに、恰で永年牢屋にぶち込まれた囚人が、急に放たれて自由の體となツたといふ趣が見える。で其處らの物象が、荒涼といふよりは、索寞として、索寞といふよりは、凄然として、其處に一種人を壓付けるやうな陰鬱な威力があツた。暗澹たる冬から脱却した自然は、例へば慘憺たる鬪に打勝ツた戰後…

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煙突文学全集013

 山田稔『オンフルールにて』より。 海面の小波が立ち、ときおり通りすぎる小帆船の船体が、白いしぶきをあげて大きく浮き沈みする。大きな貨物船も通った。通りすぎた後、その余波が突堤に押し寄せ、岸を打つ波の音が一時は荒海の錯覚をあたえた。岬のようにのびている対岸の左端のあたりがル・アーブルのはずで、ほぼ正面にぼんやりと白く見えている精油工場の煙突の先端に燃える火が、迫りくる夕闇のなかに赤くかがや…

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煙突文学全集012

  堀辰雄『幼年時代』より。 そういう野原の真ん中に、大きな、赤い煙突のある、一つの工場が見えかくれしていた。それがたかちゃんの父親の働いている硝子工場だった。彼女の話では毎日、彼女の父はその工場で、火の玉をぷうっと吹いては、さまざまな恰好をした硝子の壜を次から次へと作っているということだった。何べんもその工場へ父に会いにいったことのあるたかちゃんは、そういう父の超人的な仕事ぶりを、あ…

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