煙突文学全集011 2011年12月02日 林芙美子『新編放浪記』より。(三月×日) うららかな好晴なり。ヨシツネさんを想い出して、公休日を幸い、ひとりで浅草へ行ってみる。なつかしいこまん堂。一銭じょうきに乗ってみたくなる。石油色の隅田川、みていると、みかんの皮、木裂、猫のふやけたのも流れている。河向うの大きい煙突からもくもくと煙が立っている。駒形橋のそばのホウリネス教会。あああすこはやっぱり素通りで、ヨシツネさんには逢う気もなく、どじ…続きを読む
煙突文学全集010 2011年12月01日 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』。 それから法水は、刈込垣の前に立って本館を眺めはじめた。長い矩形に作られている本館の中央は、半円形に突出していて、左右に二条の張出間があり、その部分の外壁だけは、薔薇色の小さな切石を膠泥で固め、九世紀風の粗朴な前羅馬様式をなしていた。勿論その部分は礼拝堂に違いなかった。けれども、張出間の窓には、薔薇形窓がアーチ形の格子の中に嵌っているのだし、中央の壁画にも、十二宮…続きを読む
煙突文学全集009 2011年11月29日 宮本百合子『道標』より。レーニングラードのこの季節の日没と日の出は一つの見ものだった。対岸に真黒く突立っている三本の煙突の一本めと二本めとの間に沈んだ太陽は、十二三分の間をおいただけで、すぐまた、沈んだところからほんの僅か側へよった地点からのぼりはじめた。沈むときよりも、手間どるようにその太陽はのぼって来る。バルト海からの上げ潮でふくらみはじめたネヷの水の重い鋼色の上を光が走った。河岸通りには…続きを読む
煙突文学全集008 2011年11月28日 久生十蘭『海豹島』、『久生十蘭全集 第1巻』(1969年11月、三一書房)による。初出は『大陸』1939年2月。一、海岸に面した氷の斜面に足場を刻みながら、一歩一歩上って行くと、中腹の岩蔭に、人夫小屋が頑固な牡蠣殻のようにしがみついていた。入口に雪囲をつけた勘察加風の横長の木造小屋で、雪のうえに煙突と入口の一部だけをあらわし、沈没に瀕した難破船のような憐れなようすをしていた。続きを読む
煙突文学全集007 2011年11月12日 梶井基次郎「城のある町にて」。女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。 時どき烟を吐く煙突があって、田野はその辺りから展けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。 黝い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭の煉瓦の煙突。 小さい軽便が海の方からやって来る。 海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ…続きを読む
煙突文学全集006 2011年10月15日 有島武郎『或る女』。 やがて葉子はまたおもむろに意識の閾に近づいて来ていた。 煙突の中の黒い煤の間を、横すじかいに休らいながら飛びながら、上って行く火の子のように、葉子の幻想は暗い記憶の洞穴の中を右左によろめきながら奥深くたどって行くのだった。 この小説は、こった比喩が使われている。煙突の黒煙のなかの火の粉のイメージは、当時、共有されていたのであろう。「意識の閾」って、明らかに、無意識の領域を…続きを読む
目のスケート 2011年10月09日 久しぶりに神奈川近代文学館を訪れる。 『國民新聞』のマイクロを調べる。上田敏『渦巻』の初出を見る。昔は、マイクロをたくさん見ても平気であったが、垂直に移動する画面はとても疲れる。この作業のことを目のスケートと個人的に呼んでいる。 『渦巻』は明治43年1月1日から3月2日までの連載であるが、何度か休載している。おもしろいことに、気がついた。まさかと思って目を凝らして確認してみたが、確…続きを読む
煙突文学全集005 2011年09月11日 中原中也『山羊の歌』(1934年12月、文圃堂)所収、「雪の宵」。引用は、冒頭2連。 ホテルの屋根に降る雪は 過ぎしその手か、囁きか ふかふか煙突煙吐いて、 赤い火の粉も刎ね上る。 火の粉が煙に混じっているのが、排出直後には視認できたわけだ。続きを読む
煙突文学全集004 2011年09月05日 渡辺温『赤い煙突』(1927年5月、『新青年』)。引用は、創元推理文庫版『アンドロギュノスの裔』による。 秋晴れの青空の中に隣の西洋館の屋根の煙出しが並んで三本あった。両側の二本は黒く真中のは赤い色をしていた。そしてその赤い色の一本はずっと小いさくて何処か 赤い沓下をはいた子供の脛のような形であった。彼女にはまるでその様子が父親と母親との間に挟まった自分であるかのように見えた。けれども…続きを読む
煙突文学全集003 2011年09月02日 小川未明『暗い空』(明治41年10月、『早稲田文学』.明治42年2月、『惑星』春陽堂)。 小川未明の初期小品には、きちっとした結末がないものがある。起承転結が明確な短編のセオリーにそわないものが多い。しかし、そこに味わいがある。 太い、黒い烟突が二本空に突立つてゐた。其の烟突は太くて赤錆が出てゐるばかりでなく、大分破れて孔が処処にあいてゐる。ちやうど烟突は船の風取りのやうだ――…続きを読む