「岡本神草の時代」展感想

2017/12/09 12:29
 昨日は京都国立近代美術館の「岡本神草の時代」展へ。金曜は17時過ぎると、800円に。段取り悪く、先に山崎書店を覗くべきだった。帰途寄るとちょうどしまるところだった。とにかく、早く見たいという気持ちがあるので.時間配分をあやまった。 館内はちょうどよい混み方で、見る人の熱気も伝わってくる。『月映(つくはえ)』の人たちと同時代だと思ってみていくと、竹久夢二の模写がある。  図録の解説文、上薗四郎「岡本神草の夢と現—第1回国展《口紅》への歩み」によると、「『青春日記』の大正3(..

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ヘボ画集

2017/11/16 08:52
 過去記事《デモ画集》にアクセスがあったが、たぶん『ヘボ画集』(1912年7月、尚英堂、太田三郎、村田天籟、山田實、服部英郎)のほうに関心が向けられていたのだろう。 いま詳しく中身について記事は書けないが、書影をあげておきたい。 箱はめずらしいかもしれない。かわいい十二支の図。ロゴもいい。山田実の絵。 表紙。「あれえ、足食べられちゃった」という感じか。作者未確定。 裏表紙。魚の拡大図も。木版か? 背。 村田天籟は、通俗的な男女交際論など出版している。序文としてヘボ論を寄せてい..

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エミール・オルリクのこと

2017/10/15 12:57
 『太陽』の増刊「明治大正の文化」(33巻8号、昭和2年6月、博文館)には、菅原教造「版画発達史」という文章が収められており、なかにつぎのような記述がある。墺地利のオルリックは、画家として、舞台装置家として、又独逸の小泉八雲の作品の挿絵画家として知られてゐる。彼は神田和泉町の小柴で技巧を研究して、新錦絵や石版画を描いた。同じく墺地利の画家カペルリーは京橋五郎兵衛町の渡邊で技巧を修得してやはり新錦絵を描いた。中でも黒猫を抱いた待合の芸者を主題としたものに面白いものがある。その他..

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美術絵はがき

2017/02/21 21:25
水都古書展では、絵はがきがたくさん出ていて、少し気を入れて見た。美術絵はがきのところで2葉、購入。◇まず、熊谷守一の《陽》。「第十五回二科会美術展覧会出品」とある。一般的には、《陽が死んだ日》(1928年)という題で知られている。右下部の文字はそうなっている。熊谷守一が肺炎で亡くなった次男の姿を描いたものである。熊谷の絵が想起させるのは、クロード・モネが、妻カミーユが亡くなった際に、死に顔を描いた《死の床のカミーユ》(1879年)である。亡くなった直後の変貌する妻の表情を、白..

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『河鍋暁斎翁伝』

2017/01/11 02:03
書きものの補完資料として、飯島虚心『河鍋暁斎翁伝』(昭和59年12月、ぺりかん社)を読む。飯島翁は吉田漱の解説によると、成島柳北の配下で、浮世絵研究の開拓者である。もともと稿本で、虚心以外の筆で「按(あんずる)に」という補記がついていたのを、それも取捨して収めてある。 興味を惹かれたのは、画家、画人の伝記では定番と言えるようなエピソードが紹介されていることだ。まず、妻が死んだ時にその顔を描いている。モネが妻カミーユの死に顔を描いたのと同じである。「按に」の補記では、そのふる..

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『邦助画集』研究ノート

2016/09/14 12:38
 橋本邦助(はしもと・ほうすけ)。略歴は、東文研のアーカイブデータベースに『日本美術年鑑』昭和29年版(155頁) の引用が出ている。  第1回文展から5年連続で入選し、1回(明治40年)から3回(明治42年)まで3等賞を受けている。  年鑑記述によると、「欧州に二度外遊している。主観的な表現をさけその外面的描写技術は当時としては非常に秀れた作家であつたが、対象の内部まで入ろうとする力には欠けていた。明治40年第1回文展から続けて3度入賞し、その後も官展に出品を続けていた..

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